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22・日本人の心の景色
片岡健一
月刊カドカワ連載(1991.10月号)より

ほんのわずかな夏休みを、先日いただいて、僕らは伊豆へ行って来ました。果てしなく広がる水平線を見ながら海へ潜り、岩穴にひそむ魚を追いかけ、波間に揺れる海草に身体をくすぐられながら僕は本当の自分の故郷へと少しずつ帰って行きました。浜辺の景色は、たぶん世界中何処へ行ってもさほど変わるものではないでしょう。雑然としていつつも、どこかニートに整理されていて、翌朝の漁の準備をしている一見ヒマそうな漁師の小麦色の肌と、その周囲をヒステリックに飛び回るカモメたち。ぷーんと香るサカナの臭い。でもこれらの景色の中身は、そこへ住み海と共に生きてきた漁師たちが築いてきたもの。決して自然に出来上がったものではありません。

翌日、山へ行きました。ゲンコツ山と名付けられたその山はあの童謡に出てくるゲンコツ山そっくりで、今にも人を騙すタヌキがひょっこり出てきそうなところです。周囲は深い山に囲まれ、その隙間は深緑に染まった田圃が広がっています。山の中腹に着いたとき、そこには再度、僕の本当の故郷の景色が広がっていました。急な斜面をだんだんと平らにした畑には、サラサラと山の小川の水が引き込まれていて、山を包み込む感じに木々がうっそうと繁っていて、木漏れ日がチラチラとその水に光って、まるで小さい光りのつぶのじゅうたんの様に見えます。「ワサビ沢」です。まだ芽が出たばかりの小さい双葉が、静かに小川の水に揺られています。鳥が鳴き、かすかにのぞく青空には、真白い雲がモクモクとしています。なんともいえぬおいしい空気と、涼しげな水の音。僕は段々畑の端で顔を洗いました。まるでスローモーションになったみたいに水が柔らかく顔を伝っていきます。これだ。これこそ僕の故郷の景色と思いきや、またまたこれも、お百姓さんたちが長いあいだかけて作り上げてきた景色なわけなのです。

「自然」という言葉は、最近、やたらむやみに使われています。確かに人が手をほどこしたものは人工的で自然とは反意語になってしまいがちなこともよくわかります。でも、僕達がよく思い出す「自然」の景色って、本当は人が長い時間をかけて作り上げてきたものなのです。「自然」そのものとは、もっともっと恐ろしい存在です。人は、その自然をなんとか恐くないものにしようと必死になって頭を、そして身体を使ってきたわけです。自然に勝つのではなくて共存するということ。これこそ、日本人の本来の心の景色だったはずです。

東京に生まれた僕は、これからもずっとこの街に住むことでしょう。そして、日本人の心の景色をこの東京の何処かに作っていきたい。そういう風に思っています。
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