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Way Of The Thames Beat
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Member's Biography
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テムズビートへの道
1976年 片岡健一、中学校の同級生と頭狂ドールズ結成。転校生だった岩島篤史を足踏みオルガンに起用する。

1977年 EastWestに参加。地区大会でアナーキーを見て衝撃を受ける。岩島ベースに転向。

1982年 片岡、初のロンドン行き。ロニー・レイン(ex.スモールフェイセス)やジョージ・フェイムのライブを観る他、カーナビーストリートにあるMODSHOPマークでエドワード・ボール(THE TIMES)アンソニー・メニエール(SQUIRE)と落ち合う。

1983年 ロンドンタイムスを本格的に始動。ドラムに冨澤裕之が参加するが脱退。
片岡、再度渡英。ロンドンの100クラブにてサイコビリーバンド、フレンジーのライブを観る。

1984年 ロンドンタイムスに元コーツのベーシスト、キャプテンティンカーベルがキーボードで参加。
韋駄天ロックツアー敢行。ブルーハーツ、トラッシュと3バンドで東京・名古屋・大阪・京都をまわる。
同年、片岡またもロンドンに渡りスティーブ・マリオットのライブを観る。ライブ前同じテーブルで1パイントのビールをいっしょに飲む。そのときのマリオットの衣装はピンクのオーバーオールだった。

1985年 キャプテンレコードより「無気力な時代」発表。

1986年 豊島公会堂にてファントムギフトとジョイントライブ決行。800人動員。

1987年 煮詰まった片岡、再びロンドンへ渡る。

1988年 ロンドンタイムス解散。

1989年 片岡と岩島とでフレデリック結成。
ドラムに冨澤を呼び戻し、ギターに元ブルックスの柳川正を迎える。

1990年 フレデリック、メジャーデビュー。契約の条件としてロンドンレコーディングを提示し、PV撮影とトラックダウンのみ実現。同時にブリクストンのオールドホワイトホースでマクテルズと競演。その際ロンドンの情報誌TimeOutにフレデリックの記事が掲載される。

1991年 アルバム「Pudding」の制作のため伊豆のスタジオに1ヶ月籠もる。

1993年 アルバム「ひまころがし」発表。その直後フレデリック活動休止。

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その後
片岡健一 岩島篤史 冨澤裕之 かたおかいずみ

1993年
ロンドンへ逃避行ののち消息不明となる。
半年間ひとりで曲創りに没頭。
ヤマハ講師として在籍していたが、100人以上の生徒を残し上京。某音楽学校にて板橋文夫、久米大作氏等に師事。そこで、現在超売れっ子のアレンジャーやスタジオミュージシャンと数多く出会う。板橋氏にピアノはダメだと言われ、ピアノコンプレックスに陥る。

1994年
元グレイトリッチーズ、ポテトチップスの森君からの誘いを受けてFUZZ・POPに参加。メンバーは、ギター・ドラムに元ファントムギフトのナポレオン山岸・チャーリー森田。一年程の活動後、休止。 同じ所属事務所でBELLSやPOGO等のマネージャーとして数多くのバンドに携わっていた近藤氏の紹介で、ソロとして活動していた近藤金吾とタイムスリップランデブー結成。同時に片岡健一バンドに参加。クロコダイル等でライブを行う。 サックスプレイヤー沢井原児氏がバンマスをしていた米倉利紀のライブバンド用スコアの採譜・写譜をまかされるが1回限りで終わる。その他久米大作氏より小山田圭吾の楽曲のスコア採譜を依頼される。

1995年
元グレイトリッチーズの渡辺マモルからの誘いを受けて、渡辺マモル・メンチ・コロッケ・ブルースバンド(後〜現在迄、渡辺マモル&the・DAVIS)に参加。当時のメンバーは、ギターに元ポテトチップスの小島シロー、Keyに元マインド・ゲームスの斉藤エンジン、ドラムにいつも寡黙でクールな小田部マコト(from北九州)。バンドは2000年に一時活動休止。デキシードザエモンズの八馬から誘いを受けて、2ndアルバムのレコーディングに参加後、しばらくしてからライブのサポートメンバーとして活動を始める。 片岡健一バンドのB・Gと共にブルース系バンドに参加。清志郎氏とのセッション等華やかではあったがライブ1回で終わる。一方、タイムスリップランデブーは月1回のペースでライブ活動。 佐藤允彦氏に師事するが、あまりの思考回路の違いに3ヶ月で終わる。

1996年
かねてからの念願の自分のバンド、Yaung Skinsの活動を始める。当時のメンバーは、ギターに元フィッシュマンズのサポートメンバーの関口コウイチ、ピアノに斉藤エンジン、ドラムに八馬ヨシヒロ。ギターの関口の脱退後、ピアノトリオとして活動、2002年12月に活動休止。 活動をタイムスリップランデブー1本に絞る。 ヴォーカリスト楠木勇有行氏のライブ用の採譜などを数多くこなす。バンドメンバーは村上ポンタ秀一氏ら。

1997年
デビュー前のF.O.H.やFAKEJAMらR&B系アーティストと交流、キーボーディストとしてライブサポート。

1999年
吉野桃子の誘いを受けてチロリアンテープチャプター4に参加。メンバーはドラムに、ロンロンクルー、the・AUTOMATICSのベースのウラ・デ・ジョリンゴ、ギターはネモト・ド・ショボーレ。2003年2月に活動休止。 ミュージカル「Shocking Shopping」全国ツアーにキーボードで参加。

2000年
体調を崩し1年半活動休止。

2001年
復帰。ミュージカル「Rent」にキーボードで出演。そのときのベースは現在チコチェアーのさいとうゆうじ。

2002年
左手負傷のため、ライブではサンプラー・キーボードで参加。 10月、片岡健一のバンドAction Paintingにサポートで参加。
11月、ユニットにて初ライブ。
JAZZLIFEに採譜・解説が掲載される他、某洋楽アーティストのピアノ曲集アレンジ他を手がける。

2003年
4月、自分のバンドの活動に専念したいため、サポートメンバーとしてのデキシー・ド・ザ・エモンズの活動に終止符を打つ!
6月、岩島40Coloursの初ライブを新宿ジャムで行う。
11月、新宿ジャムで片岡健一企画のライブに出演。その時、自分なら片岡の曲をもっとかっこよくできると勝手に思い込み、本人に直接、バンドでの共演を依頼する。
12月、念願かなって高円寺のショーボートにてテムズビートとして初ライブ。
リハビリを続けつつ、タイムスリップランデブーのベスト盤で新曲1曲をドラムとしてレコーディング。
12月、テムズビートに参加。
片岡ソロプロジェクトのライブにすべてキーボードで参加。
12月、テムズビートに参加。

2004年 テムズビート、本格的に始動!

2005年 4月 1st Singleレコーディング完了。
5月 1st Single「僕の言葉/MODS A GO GO」5月21日リリース。
6月 スーパーワガママサポートリードベース岩島篤史が、
   自己のリーダーバンド「フレッシュ」に専念するため、テムズビートを卒業。
7月 新メンバー、TOSHIMITSUがベースとしてテムズビート参加。
8月 新生テムズビート、新宿JAMで初ライブ。

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