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19・犬の目
片岡健一
月刊カドカワ連載より

先日、犬を見ました。別に特別のことではないのですが。その犬はどうやら捨て犬らしく首輪をつけたまま家の近所をここ二〜三週間くらいうろついてたみたいで、二〜三日のうちにどんどんやつれていく様子で可哀そうだと思いつつも、僕のマンションで飼ってあげられるわけでもなく、見て見ぬふりをしていました。

その犬は結構年老いていたようで、足元もヨロヨロしていて、あまり見ていて快いものではありませんでした。たぶんエサを見つける能力もほとんどなさそうで、日なたに座り込んでいる彼の目は何やら本当に哀しげで、僕は目が合うのをいつもさけてしまっていたんです。
彼の優しい目は哀し気だけど、それ以上に何か強く訴えかけてくるものがあって、僕は単純に「エサがほしいんだろう」とかそんな程度にしか思ってなかったのですが、ある日、たまたまバッチリ目が合ってしまった時、僕は直感したんです。彼の目は、この間テレビで見た、住む家を追いやられてしまった老紳士の目と同じだということを。何か訴えられているような気がして少し怖くなってしまいました。

近所に住みついた老犬は最近その姿が見えなくなりました。どこか他の場所を見つけたのか、いやでも、二〜三日前には、もう歩けなさそうでしたからどこかへ行くなんてあり得ないし、通りがかりの人がこの醜い老犬を助けたとも考えられないし、たぶん、その皮肉にも長く生きすぎてしまった命がついに尽きたんだと思います。僕は少なくともそう願いたい気持ちでした。ガリガリに痩せて、ウンチもオシッコも座ったまま垂れ流してしまうようになってまで、彼は長生きしたくないはずです。客観的に見ていてもそう思うんです。

命は時として簡単に失われてしまうものです。でも、逆に早く死にたいと思っても神の意志は甘くなく、地獄の苦しみのなかで長く生きてしまうもののようです。

先日テレビで見た光景は、それは、怖ろしいものでした。身寄りも誰もない老人が一人、ビルの谷間をあてもなくさまよい歩く姿は、本当に見たくない現実の地獄でした。平成不況はひどくなる一方。他人事ではありません。若い頃よく大人になりたくないと思ったものです。でも現在(いま)は老人にはなりたくないと正直に思います。その意志とは関係なくのびてしまう雑草の様に。誰かその雑草を刈ってくれる人がいればいいんですが。

生き続けることに意味があるかどうかはわからないけど、自分で自分の生命の長さは決めたいと思います。流されて生きるのは楽なことで、麻薬のようなものだけど、どうも最近おかしい。自分の意志で生きたい。
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