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18・『ひまころがし』リリース時のインタビュー
FREDERICK
ロックンロール・ニューズメーカー No.62(1993.11)より

十年前とやってる時の気持ちは変わらないですけど、
深さは違うと思うんです。噛みしめ具合というか。


フレデリックの5枚目のアルバム『ひまころがし』が10/1にリリースされた。ロンドンタイムス時代からの代表曲『無気力な時代に生きてる僕達』を初めて収録したこのアルバムは、以前あった様々な壁をとっぱらって風通しのいい場所に立った彼らからの、現代に生きる人々へのメッセージだ。ふと気づいた自分自身の意識の変化を、穏やかに受容した片岡が語る。

ひさしぶりに聴いたフレデリックの新作は、その『ひまころがし』というタイトルにこそ昔ながらのひねくれた感覚が活かされているものの、出てきたものはサウンドも歌詞も、以前に彼らがキープしていたアンダーグラウンドでもメジャーでもない不思議なポジショニングをそのまま表していたようなものとうって変わり、スタイリッシュ、そしてオープンなものに仕上げられている。詞の世界の根底にあるナイーヴさはそのままだが、その両者があいまったアルバム全体の手触りには、多くの日本のバンドが通り過ぎて来ざるを得なかった種々の見えない取り決めみたいなものを全く通過せずに自分らの世界を構築してしまったような天衣無縫さの窺える新鮮さがあった。そしてその辺とこの日の片岡の、「まだ僕たちは発展途上ですから」などという、前に会った時には聞けなかった殊勝な発言なども出てきたインタヴュー中の態度なども合わせると、彼らが案外今後のシーンに風穴をあける存在になるかもしれないなどという予感も少し、得られたりもした。

――新作の宣材資料には“アルバムを作るに当たってまず頭に浮かんだのは子供の頃のことだった”という片岡さん自身の言葉がありますけど、フレデリックのレパートリーには過去の作品にも思春期の少し前の心情を唄ったものがわりに多いですよね。子供の頃に見た風景をある程度年齢を重ねた後に再度見たら印象が随分違っていて、そういう時に抱いた懐かしさやせつなさが根底にあるようなものが。
「その通りですね。例えばアルバムの中の『九月の子供達』とか、僕は練馬で育ったんですけど、子供の頃に遊んだ場所で、『グランドハイツ』っていう米軍の基地があって。そこは今は光が丘の団地になっちゃってるんですけど、今年の頭ぐらいにその団地の中にある日大病院に父親が入院したんですね。で、見舞いに行った時にその変わっちゃった風景を見て、“あれっ?”みたいな感じですごい複雑だったんですよ。で、これは何か記録…ってんでもないけど、“詞にしちゃえ”みたいな気持ちが生まれてきてできたっていう。まあでも、それも僕なりの解釈で…、昔見た山がきれいだった、っていうような気持ちだけじゃなくて、何かプラスアルファを加えてその時の気持ちを表そうとしたっていうか…」
――例えばそういう、子供の目と大人の目との印象の違いっていうのは寂しさを感じさせるものですか?それともまた違った感情なんでしょうか?
「まあ、年取れば人間、奥行きは出ますよね。若い頃はストレートにしか見れなかったのが細かい所まで見えるようになることもあって、それだけ考えさせられることも出てきたりするんだけど、でも知らなくてもいいこともありますよね。知りすぎたために悲しい想いをするとか。恋愛問題でも例えば女の子と別れる時なんかに、本当は他に好きな男ができてたとしても“そうじゃない”って言われた方が幸せなこともあるじゃないですか。僕は何でも“どうして?”って考えちゃう方なんで、例えば環境問題とかでも、割り箸を使わなければいいのかとか、プラスティックの箸を携帯すればいいのかとかすごく考えるんだけど、プラスティックでも作る段階で廃棄物は出るわけだし、そう思いながらも割り箸は捨てちゃうわけですからね。で、そこでまた考えてみるとそれこそ地下鉄漫才みたくなって夜眠れなくなっちゃう、みたいな所もあるんですよね」
――その辺りは優しさですね。で、昔は“醜い”だとか“ねたむ”なんて言葉も歌詞の中に随分使われてて、そういう優しさがある種の裏返しで、ひどくリアルに、露骨な表現として出てたのが、今作辺りではかなり素直に出せるようになってる。
「あの…、僕は詞を書きためるのが苦手なんですよ。例えば曲があって詞をつけたとして、そこに“バカヤロー!”とか書いちゃうとテンション落ちちゃうことがあるじゃないですか。バカヤローはバカヤローなんですけど裏にいろんな感情がありますよね。ただ頭に来たっていうのもそうだし、やるせなさがあったりもするし。だから昔は結構、唄う度に詞が変わっちゃうこともあって、いまでもそういうのはあるんですけど、最近は遊び心っていう気持ちも出てきて…、それが大きいと思うんです。もっと楽しみたいっていう、詞を作ることとか曲を作ることとかをね」
――僕は二〜三年前のフレデリックのレパートリーの言葉の露骨さは、速いビートで破壊を叫んでるパンクの連中よりもずっと過激に感じたことがあるんです。刹那的というか。でも今は、今回のアルバムのラストに収められてる『無気力な時代に生きてる僕達』はロンドンタイムス時代の曲だそうですけど、そういう昔の曲を再度やってみたいと思うようにもなってる。そういう意識の変化もやはり、単純にそんな志向の変化ゆえと考えていいわけですか?
「そうですね。でもこの曲も十年前にやった時の詞とは若干違うんですけどね。まあサビは同じなんですけど。やっぱりこれも奥行きが自分なりに出てきた部分があって、もう少し何かを足したいな、と。もとはストレートな感情唄ってたのが、自分の中でもうちょっと説明したい部分が出てきて、そこをちょっと補強して…、だから一種の詞的なアレンジって感じで、核にある心情は変わってないですよ。ただ若い頃は“バカヤロー”で済ませていたものに、もう少し叙情的な何かを足したって感じで」
――その辺はある種、自分らの音楽に普遍性を求めだしたことの現れでもある?
「そうかも知れないです。まあ曲を大切にしてる気持ちは変わんないけど、愛情みたいなものがもっと曲に対して出てきたってことでしょうね。今回この曲もメンバーとミーティングして“十年ぶりにやろう”って意思統一しますよね。で、その時に“なぜ今この曲なんだろう?”ってことを改めて考えてみたんですけど、やっぱ当時は旬だったからやったと思うんですよ。でも今は曲の持ってる本質をもっと掘り下げたくなったっていうのかな。だから…、十年前とやってる時の気持ちは変わらないですけど、深さは違うと思うんです。噛みしめ具合というか」
――サウンドの方もそれに合わせて随分とオープンなものになってますね。
「固定観念はなくなってますね。昔は自分たちの中でフレデリックっていうのはこういう見られ方されないといけない、っていうのがあったみたいだったけど、結構今回は“この曲はこういう感じで唄ってもいいな”みたいなものもわりと出てきたんですね。まあでも…、そうは言ってもギター、ベース、ドラムのバンド形態ですから、ベーシックは変わんないんですけど、だからそこも遊び心みたいなもんですね。それともう少し言うと、僕らは六十年代の音楽に影響されてるっていうのがずっとあるんですけど、今まではそれも“六十年代のバンドじゃないんだ”とかある種言い切ったりしたんですけど、今はそれも関係ないな、って感じにはなってますよね」
――なるほどね。僕が前回お会いしたのは二年少し前でしたけど、その頃とは随分意識が変わってますね。あの頃片岡さんは、“僕にとって音楽は人に聴かせるものでなくて、自分の中に向かうものだ”なんてことを言ってたけど、今はかなり外に向いてる。
「そんなに変わりましたかね(笑)。まあ壁みたいなものが取っ払われたっていうのはありますね。だから今は音楽の部分でなくてもこういう雑誌のインタヴューでも僕の人格が伝わるんであればすすんで出たいと思いますよ。でもそのきっかけは…、何なんでしょうね?やっぱり年取ったってことなのかな(笑)」

(インタビュー・文/小島 智)
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