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15・身近な事から…
FREDERICK


フレデリックのメジャー・デビュー・アルバム『Frederick』が6月21日にリリースされた。彼等は現在、全国各地の公園で野外ライブを行なっている。何処でもいいだろう。彼等に接したら〈なにか〉かんじるんしゃないかな。〈なにか〉微妙で身近な事。


このあいだ『ターザン』のエコロジー特集を読みながら『微妙に嫌なかんじ』がしたんだ。でもそのかんじはうまく説明できそうにないな。ほんとは人間の方が、地球にとっての、癌細胞のくせしてさってかんじに近いかな。……〈人間=地球の癌細胞〉って感覚ぬきのエコロジーじゃ「いいことばっかいっちゃってさ!」ってヤジのひとつも飛ばしたくなる。
フレデリックの『LOVE』を聴きながら、ああ、おんなじようなことかんじてるのかもね、おもった。『LOVE』は、こんな歌詞だ。
「募金集めの人たち 愛を押しつける人たち 駅前で献血に夢中な人たち ドラキュラみたいだ 駅前を見てごらん 浮浪者があふれてる ぼくはそっちの方が気になるんだ」


フレデリックは4人組のバンドだ。ボーカル、ギターの片岡健一。シタール、バンジャー、ピアノ、コーラスの柳川正。ベース、ピアノ、コーラスの岩島篤。ドラムス、パーカッション、コーラスの富沢裕之。結成は88年の2月。インディーズ時代にCD『僕の太陽』がある。そして今、メジャー・デビュー第1作『フレデリック』を発表。サウンドはバーズやニール・ヤングあたりのアコースティックなかんじを活かしたロック。(おおざっぱにいえばね)。そして、さっきのような具合に、単純なコトバで単純にはわりきれないことを歌っていたりもする。どんな連中だろうと思いぼくはインタビューに出かけた。


片岡健一とはいろんな話をした。絵本『ぼくを探しに』、画家ジャクソン・ポロック、レオ・レオーニ、大英博物館のスペアリブみたいなミイラと柩に描かれた絵文字、かれがフランスへ行ったときテレビで見た(そのときは名前も知らなかった)ジャルジュ・ムスタキのこと……。
「どんな人生にアコガレてる?」って尋ねたら、「一生懸命、生きることが美徳だと思う。いや、ほんとほんと」と笑いながら。「そうだなぁ……釈迦とかキリストとかが好きだな」
これじゃ、まるでかれはただのわけのわかんないやつじゃないか、ってきみはおもうかも。


「小学校の頃はイワシつてあだなだったんですよ」とベースの岩島篤は話しはじめる。「東京に戻ってきてからは関西弁がひどかったせいでカンサイって呼ばれてました」八王子で生まれてから父親の転勤で広島の大竹、兵庫県の西宮、そして中学3年の時、練馬に越して、ボーカルの片岡クンとおんなじ中学に入学した。「ガキの頃から調子よくって、結構、順応性があったんじゃないかな」
かれが中学の時、親がトランジスター・ラジオを買ってくれた。「FENから流れてくる音楽がなんてかっこいいんだろうって思って。みんな英語だったから、曲名もバンド名もまるでわかんなかったけど」
「趣味は、あんまりない。音楽しかないんですよ」
ロンドンでのレコーディングのことを尋ねると「最初は緊張してウンコもでなかった。でも、感動してねぇ。エキサイティングだった。それからロンドンの家はなんてラブリーなんだろうって。……ぼく、ふだんなんでもないことを楽しんだり、身のまわりのことを大事にする心を持った方が、もっとシアワセになれるんじゃないかな、って思うんですよ」


「ウチのトナリに6畳くらいの物置があってね」と柳川正は話しはじめる。「そこには自転車とか古い脱穀機とかがおいてあって。夜になると裸電球が、ぼーっと照らしてるような、そんな部屋なの。そこでギターの練習をはじめたんですよ。子供の頃は、お化けが出そうで恐くて恐くて仕方がない場所だったんですけどね」
はじめてコピーした曲はビートルズの『サムシング』。エレキ・ギターをテレコにつっこんで、薄暗い物置でかれはキタリストを夢みていた。
尊敬するミュージシャンは、ニール・ヤング、ビート・タウンジェント、ジョン・レノン。
「自分のすべてを出したい。俺っていう人間は世界中で俺ひとりなんだから」


ドラムスの富沢裕之の家は、日暮里にある看板屋さんを営んでいる。店の名前はホクソーで、プラスティックの看板から博物館の展示台までいろんなものを作っている。かれが生まれる前、店ではまだ定時制高校に通っていた頃の山崎努が働いていたことと、沢田研二がかつて演奏していた透明なギターをホクソーが制作したことは、富沢家の自慢である。かれは家のまわりの空き地で、よく戦争ごっこやかくれんぼをして遊んだ。中学校の頃ビートルズとかを聴きはじめて。いつのまにかエルビン・ジョーンズやバディ・リッチとかジャズを好きになって。大学の頃からジャズのビッグ・バンドでドラムスを叩いていた。だから尊敬するミュージシャンもビートルズ、ストーン・ローゼスとならんでアート・ブレイキーの名前があがる。「もしもミュージシャンにならなかったら、どうしてたと思う?」と質問したら「着物屋さんかな?」といって意味深げに笑った。「粋なのが好きなんですよ」。かれのドラム・セットの特徴もシンプルだ。「シンプル・イズ・ベスト。……粋でしょ」と人なつこそうに笑った。


フレデリックは歌う。「今日もゴミをすてて 駅に行く途中で カン・ジュース飲みながら すっきりしない空を見る 太陽はぼくのことを照らしてくれるけど ぼくはそれを追いかける ちからも気力もない」
片岡健一には〈シアワセでぬくぬくしたかんじ〉と〈破滅的でどしゃめしゃなかんじ〉の〈あいだ〉に、ふわりと浮かんだようなアンニュイなかんじがある。かれの心のなかには、きっと、まだ、なにか隠れてる。「なにか」って、なんだろう?


夕方の青山通りを歩きながら、赤く染まるスモッグまみれの空を見上げて、あぁ、きれいだな、普通の青空じゃこんなニュアンスはでないな、とふとぼくはおもう。そんなおもいは、瞬間で消えてゆく。主義にも思想にもなんない。おもったことさえ、忘れてゆく。
でも、それは〈YES〉でも〈NO〉でもない〈あいだ〉に浮かぶ、希望のようなものにおもえたのさ。
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