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10・ボクにはボクの顔がある
FREDERICK
ライヴハウス・ロッカーズ133より
●メンバー
片岡健一 vocal,guitar
柳川 正 guitar,シタール,バンジョー,ピアノ
岩島 篤 bass,ピアノ
富沢裕之 drums,perc

第三者があるバンドの音楽を語ろうとする時、まずジャンルという記号を使う。これは大変に便利なもので、この一言によって多くの説明をする必要がなくなる。ただこの記号によって総てを正確に伝えることは不可能なため、補足的説明をする必要がある。例えばこのフレデリックの場合はこうだ。

元ロンドン・タイムスの片岡と岩島を中心として11年来の友人である柳川、富沢によって'88年の2月に結成された。その音楽はニール・ヤング、バーズ、スミス、そしてウィルソン・ピケットに強い影響を受けたという。つまり60年代のアコースティックな感覚に共鳴しているのだ。そしてロンドン・タイムス来のキレ味の鋭いビート感。アコースティックとビートの2つがバンドの土台となっている。またこの日のライヴではお目見えしなかったが、シタール、バンジョー、アコーディオン等の楽器を持ち出すこともあるという。で、結局フレデリックの音楽は何なのか、というと、彼らオリジナルのワールド・ミュージックと言えるのではないだろうか。

さて、上記のようなものがジャンルという記号の使い方の一例だが、この頃は音楽にとどまらず、ライフ・スタイルまでもジャンル化、記号化されてきたようだ。記号が伝達手段ではなく、ライフ・スタイルそのものになっているのだ。例えば渋カジ少年なら、どの街のどういう部屋に住み、インテリアはどうで等々と雑誌に書いてあるマニュアルどおりに事を運ぶ。女の子ならば、とりあえずヴィトンのバッグ。そして自称ロック好きならばラバーソールの靴をはく。マニュアルにそって生活を組み立てていけば安全だし、楽だ。しかし、オリジナルにはなれない。もしオリジナルな個人であろうとするならば、それぞれの人が、それぞれの表情を持っているだろうが残念ながらボクの目にはそう映らないのだ。皆、顔が違うことが自然なことだと思うのだが……。

ライヴの中、片岡は何度となく「歌詞が重いなんて言わないでね」と言った。フレデリックの詞にはよく“太陽”“雲”“空”といったモチーフが登場する(今度発売されるミニLPのタイトルが「ボクの太陽」だ)。一聴すると自然回帰を唄ったものに思える。しかしライヴを通して聴いていくと、それは回帰ではなく、オリジナルな自分として自然に生きていけることは素晴らしいことなんだというテーマに帰着する。当然のことがそうでなくなった今、このテーマは聴く側にとって重く感じられるのかも知れない。マニュアル化された無表情な時代に、フレデリックはオリジナルな表情、顔を見つけ、それを表現しているのだ。
(1990.1.12 渋谷ラ・ママ)

(文/柴田俊宏)
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