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08・叫びよりも強い“硬質なささやき”
FREDERICK

たとえば、飛行機事故で家族全員を失ってしまった男にもいつも通りやってくる月・水・金のゴミの日。あるいは、最愛の人に去られて「メシがノドに通らない」はずなのにやっぱり口にしているいつもとおんなじ日替りランチ。フレデリックを聴いていると、そういう精神性と日常性の“引き裂かれたかんじ”がひどく痛切に浮かび上がって来る。どんなにつらいことやとんでもないことがあっても人は大抵生きてしまう。“募金はしないけどティッシュ・ペーパーはもらう/献血はしないけどティッシュ・ペーパーはもらう/募金はしないけどすべての人を愛せる/献血はしないけどすべての人を愛せるさ”。こんな独創的な詞を書く(しかもこの作品のタイトルは“LOVE”だ)片岡健一が突きつけて来るのは、要するにそうしたどうしようもない事実だ。そして、彼らはそれを幾千幾万ものロック・イデオムを使って見事音楽的に“発酵”させている。きっと、ある種の人達にとっては待望していた音源の登場といえるだろう。通俗的なことを歌っていながらとても高潔、というフレデリック。聴き手をくだけて問い質すアフター・ビート・パンク・バンドのデビューである。

――片岡さんって東京ローカルでは“知る人ぞ知る”っていう存在ですよね。
「ロフトの主みたくなっちゃったからね(笑)」
――そもそも前のバンドのロンドンタイムスをなんでやめちゃったのか。その辺から訊きたいんですが。
「うん。あの当時はね、メジャー・デビューの話もあったんだけどね。自分のやりたいことがはっきりしていない状況もあって……。で、まあ全部一回御破算にしようと思って」
――しかし、ちょうどその頃っていうのは対バンしてたブルーハーツやレピッシュがぐわーっと盛り上がって行く時期ですよね。「よーし、俺も」という気分にはならなかったんですか。
「というかね、逆に周りが盛り上がって行くの見てると自分が醒めちゃうというかね。最初はね、『あ、こいつら頑張ってる。俺も頑張ろう』と思ったんだけど、いざメジャー・デビューしてみると(音楽的に)ドロップ・アウトして行ってしまうバンドも多くて。ま、結構冷静に見ちゃって、なんかみんな本当はやりたいことやってないんじゃないかと思って。だから、そこで自分のやりたいことってなんだろうってわりと深く考え始めたんですよね」
――そこで見つかったのがフレデリックの音楽だったってことですか。
「いや、そういう理路整然としたもんじゃなかったんですよ。大体、ロンドンタイムスが解散してからもセッションとかバンバンしてたし、2ヶ月後には『やっぱりバンドやりたい』ってメンバー集めてましたから。とにかくやりたいっていうのが先にあったんですよね。ただ、ぼくはすごく節操がないっていうか、色々な音楽にのめる込むタイプでね。『あ、ジュリアン・コープいいじゃないか、ストーン・ローゼズ、新しい!」とか。で、たまたまそん時はバーズがすごく好きになって家でいつも聴いててね。これやりたいなと思ってカヴァーして行く内にオリジナルとかも――別にマネしてるって意味じゃなくて――バーズっぽいものが出て来るようになったんですよね」
――それって、アメリカでREMが通った道すじと全く一緒だと思うんですよ。なんか現在形のシーンから解脱してアナログ的な名盤志向に走る、みたいな。
「解脱、ですか(笑)。うーん、そういうわけでもないんですけどね。ただ、REMはすごくわかるなって気はしたんですよね。いや、なんかわかんないけど最後まで残るなあという」
――それは世代的な共通項という?
「かもしれない。でも、当時っていうのはちょうどビルボードのトップ10とは全然別のカレッジ・チャートっていうのが確立されていた時期でね。一方でマイケル・ジャクソンがいれば、全然別の所にREMがいてスミスがいてっていう。そういう在り方みたいなのに憧れていたんですよね。商業音楽とは別の“音楽”がちゃんとあるというか。確かに日本でもインディーズっていうのは形を整えつつはあったけど、でもそれは作ってるんじゃなくて作らされているというか。ぼくはやってる側だけど常にそういう気がしたんですよね」
――比較してみると、日本のバンドって幼く見えますよね。ある種ずっと子供でいたいという願望の表れというか。それに対して、カレッジ・チャートに出て来たバンドってなんかみんな老人に憧れるような人たちだったと思うんですよ。
「それはやっぱり媒体の違いも大きいんじゃないかな。日本だとどうしてもこういう雑誌やテレビから入るでしょう。だから、当然ティーン・エイジャーに届き易いルックスをした人が受け入れられるだろうし。ぼくらもねえ、髪型をなんとかしろとか服装を変えろとかよく周りから言われるんですけどねえ(笑)。でも、それだけに囚われるとすごく短命だと思うわけ」
――その辺でやっぱりフレデリックってすごく老成しているバンドだと思うんですよ。特に、詞を読むと、なんか感情が内出血してるみたいに抑制されてますよね。
「あ、そう見えます?でもねえ、今回のアルバムの詞を書いたのは大体2年ぐらい前なんですけどね、そん時はすごく熱かったですよ。『何でいままでこういうことを歌わなかったんだ!』って気合いが入ってて。そん時はアルバイトをしていたんですけどね。大体、朝起きて仕事に行くまでの情景を歌にしてゆくという感じで」
――それが通り一辺倒のバカヤロー・ソングにならなかったのはなんでなんですかね。
「なんでだろうね。それはわかんないけど、まあでも別に自分の熱さっていうのは全部外側に出さなくてもいいんだって気がついたのかな、自然に。その頃ロッキング・オンでモリッシーのインタヴュー読んでたら、“ささやきは叫びよりも強し”っていうフレーズが出て来てその意味がよくわかったというか。だから、どんなに叫んでも伝わらないことがあるなって思ったんですよね。モリッシーはジョニー・ロットンより過激なことを歌ってるでしょ?でもああいうささやくような歌い方で歌ってて、で、それが大きく伝わっているし。だから、自分でもごくごく自然にそっちの方を選び取ったって感じかな」
――しかし、フレデリックの歌の世界っていうのはスミスなんかよりも超個人的ですよね。世の中を憎むんじゃなくて一回全部を諦めてるというか。
「ああ。よく醒めているとかクールだとは言われるんですけどね。自分では意識してないですけど」
――しかも、今回のアルバムでは“あなた”や“君”って言葉は一切なくて、全部“ぼく”と“人”じゃないですか。これはなんかひとつ達観したものを感じるんですが。
「自分ではわかんないけど観察してるっていうのかな?なんかそういう技法みたいのがあるみたい。相手がいて“君とぼく”じゃなくて、“ぼく”から見える世の中の、その見え方を書いてるんじゃないかな」
――非常に失礼な言い方をするなら、疎外された人間の歌という気もしますが。
「疎外はされてないですけどね。非常に個人的というか自己中心的というか。そう。疎外はされてないんですけど、あの、ぼくは孤独なんですよ。全然誰もそう思わないだろうけど(笑)。孤独が好きなんです」
――ああ、それはよくわかりますわ。
「わかられちゃいますか? なんかエラく話がクラいなー(笑)。極端なんですよね、だから。人がいないと『ああ誰かに会いたいなあ』と思うんですけど、渋谷とか人の大勢いる所にいるといらいらして早く帰りたいなあって思っちゃうんですよ。わがままなんですね。だからかもしれないけど、たまに自分の書いた詞を読むとね、『俺ってナルシスだなあ』って恥ずかしくなっちゃうんですよ」
――そうですか? ぼくはこれはかなり自分に厳しい人が作ったレコードに見えましたけど。極端な話、自殺を考えるほど自分を問い質してるというか。
「うわー、自殺ですか(笑)。ストレートだなあ。うん、でも、まあ自殺をしたいと思ったことはないけど、結局ぼくはぼくの音楽を自分にぶつけてるんですよね。こういうインタヴュー受けるともっと他人にぶつけないといけないなとは思うんですけど、ぼくってやっぱりすごく破滅的な人間なんですよ。すぐね、行き詰まっちゃうんだけど、そういう時全部一度ゼロに戻さないと気が済まないんです。今までここまでやったからっていうのが残っちゃうとダメなんです。全部一度ぶち壊さないと。あ、なんかジャックスのインタヴューみたいになっちゃいましたね(笑)」

うつろな目で なにを見ている
うつろな目で なにを見ている
すっきりしない空を見ている
あてもない旅に出かけよう
“ゴミ”

(インタビュー/斉藤まこと)
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